不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉を初めて知った。
これは禅宗の教えで、
「文字に表した論理で仏法を識ることはできない」の意。
教典や言葉に頼ることなく、「以心伝心」、つまり言葉にして
伝えられない真理の体験を禅宗は重視するということで、
私の師匠、池原先生の教えを思い出した。
不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉を初めて知った。
これは禅宗の教えで、
「文字に表した論理で仏法を識ることはできない」の意。
教典や言葉に頼ることなく、「以心伝心」、つまり言葉にして
伝えられない真理の体験を禅宗は重視するということで、
私の師匠、池原先生の教えを思い出した。
sonyの茂木さんが、こんなことを言っていた。
「脳をたがやす」
うん、これ「ブレインストーミング」の日本語訳としてはもってこい。
発想法によりアイディアの幅を広げる。畑と同じように土は放ってお
くと、どんどん固くなって酸素不足になる。すると野菜も育たない。
そこで耕して土の中に酸素を取り込んでやる。それと同じように、
既成概念で固くなってしまった脳に刺激を与え、物事を考える幅を
広げてやる必要がある。
それが、脳をたがやすことなんだ。
多胡明の「頭の体操」森正弘の「柔らかい頭」の中で言っていることも
同様である。
建築の空間構造が例え変えられrなくても、その空間の使われ方を制御することで、もっと快適に安全に空間を利用することができる。
建築の見えるかたちを作ることと、建築の見えないかたちを作ることは、相互に補完する関係にある。建築家にとってかっこいいデザインが、ともすると利用者にとってかっこ悪いデザインになっていることがしばしばある。しかし、見えない形はそのままでは視覚的に確認することができないので、これを我々が目で見て確かめられれば、事前にそのかっこ悪さは除くことができるはず。
デジタル化ということは、抽象化ということでもある。音楽は一見アナログのように思えるが、あの楽譜を見れば分かるように、無限に連続する音を一定のルールで「区切る」ことで、つまりドレミという音階に代表させることで、その多様な組み合わせが見事に音楽として成り立っている。「音楽は最も美しい数学である」と誰かが言っていたが、まさにその通りである。
もともとデジタル化は太古の昔から壁画と言う形で、実社会に存在していた動物や生活を抽象化して壁という記録媒体にデータとして保存していた。紙が発明された時には象形文字として言葉がデジタル化され記録されて来た。これらは、すべて知識のデータベースであり、記録するために現象を抽象化すなわちデジタル化してきたと考えることができる。
デジタルとアナログと2極化して、その功罪を比較するのは決して有効なことではない。世の中は、全てこの両方のバランスの良い組み合わせで成り立っているわけで、新しい発想とはこのどちらかに遍在した時に、それを打破する一つの切り口として、もう一方の知識や技術あるいは記録方法を見直してみるという柔軟な発想が求められているのだと思う。