2017年8月12日土曜日

見えないものを見せる

「可視化」は、大学時代からの私の研究テーマの一つでした。建築空間の中で生活する人間の行動を予測する技術を開発したことが私の学位論文であり、まだ起きる先の人間の行動を予測してそれを建築空間上にプロットするという行動シミュレーションのモデルを提案するというものでした。これは災害時における建築物からの避難予測として現在では欠かせない技術となりましたが、それにしても「出入り口の前にたくさんの人が殺到する」とテキストで表現してもその受け取り方は人それぞれです。そこで計算した結果を実際の建築図面上に人間の投影図として表現し、その混雑具合を視覚的に見せることで一般の利用者にも分かりやすく表現することができました。

未来の生活空間もそうですが、まだ見えないもの、あるいは視覚としては捉えられないものを「見える」ようにする考え方や技術が可視化です。そこで、人間の暮らしの快適さを評価する感覚つまり五感を視覚化しようという試みを大学院の授業で何度も取り上げました。

視覚そのものでは、超高速で動くものをハイスピード撮影してゆっくり見せるとか、膨大な時間をかけて変化するものを数秒に縮めて見せるなども可視化の一つです。講義の課題としては視覚以外の感覚をビジュアル化することを試みました。キャンパス中庭の匂いを可視化する、赤ワイン・白ワイン・ロゼの味覚の違いを可視化する、建築素材の肌触りを言葉として可視化するなどなど、とてもユニークな表現がたくさん飛び出しました。その課題として取り上げられなかったのが聴覚の可視化です。

研究室の論文としては、視覚障害者がどのように音を認知しているのかを音の伝搬を球体の連続として可視化する試みは発表しましたが、講義の課題としてはやり残していました。つまり、音楽を可視化しようというものです。音楽を聴いて頭の中では様々なイメージをかきたてますが、それを目で見えるようにしようというわけです。今回は、その手始めとして音階の一つ一つに色を当てはめ、これを五線譜で表現された音の流れに対応させてみました。音符の長さが色の帯の幅に対応しています。

取り上げたのは「ムーンライトセレナーデ」ですが、♯や♭は無視しています。もちろん配色の仕方でそのイメージは違ってくると思いますが、一つの表現としての可視化の結果です。



音階と配色の関係は、仮に下記の図のように設定しました。



これによって、曲のイメージの違いが表現できたかどうかは、別の曲にも同じルールを当てはめてみないとわからないということで、もう一曲は沖縄で歌われている「てぃんさぐの花」を取り上げてみました。先ほどのムーンライトセレナーデと並べてみると、なんとなくそれぞれの曲を聴いた時の印象の違いが「見える」かなというところです。


2017年8月10日木曜日

写真で伝える

6年前に家内が動けなくなった時に「私の代わりにいっぱい写真を撮ってきて見せて」と言われたのをきっかけに、それまで建築の模型写真以外にはほとんどカメラでスナップ写真など撮ったことがなかったのですが、毎日一枚でもいいから身の回りのものや風景、出来事などに目を向けるようになりました。

家内がなくなるまで続けていたミクシィ(mixi)に代わって、私がフェイスブックに一日一枚を目標に写真と記事を投稿して家内への報告をしてきましたが、毎日相当な枚数の写真を撮るものの、そこに記録された映像と私がこれを撮りたいあるいは伝えたいと思ったものとが、かなり違うなぁとずっと思っていました。「パパって写真が下手ね」と家内が言っているのも聞こえます。

デジタル写真を「現像する」ことを知ったのはまだ2年ほど前です。時間のある時には少しコントラストを濃くしたり、暗い写真を明るくするぐらいのことはしていたのですが、フォトショップの機能やフィルタを使っているうちに、記録された映像が劇的に変化することもあることを実感しました。フォトショップによる画像編集の実例をいろいろ見ているうちに、撮影した現場で私が撮りたいと思っていたイメージに近いものを写真加工で引き出せることが分かったのです。それが現像ということでした。

アナログ写真の時代から、プロのカメラマンが自分で写真を現像する際に施していた操作が、今ではデジタルに処理できるようになっているばかりか、アナログでは得られないような効果を付加することも可能になっています。

ということを記録しておきたかったので、先日の白保の豊年祭で「みるくさま」の行列が登場する時に私がイメージした印象に近くなるように写真を現像してみました。私がこの場面で伝えたかったことは、夕方の西日を背中に受けて甲斐甲斐しくみるくさまに寄り添う二人の女の子の素朴な姿だったのです。撮った写真を家でモニタで見た時に、これは行列風景の説明写真であって、この女の子たちの息づかいのようなあの瞬間の私が受けた印象が全く伝わっていないことに愕然としたのです。


白保豊年祭2017(現像前)
そこで、トリミングしてサイズを調整、行列の先頭を明るく、そして逆光効果を強調して見たのが次の写真です。この現像を施すことで、私が現場で受けた印象に少しでも近づけたような気がします。まだほとんどの撮影をカメラのオート機能で撮っているうちは素人だと思いますが、それでも時間をかけて現像することで記録ではなくて「思い」を伝える写真に仕上げることはできるのではないかと思いました。

白保豊年祭2017(現像後)

2017年7月19日水曜日

沖縄は長寿県?

昨日、建築雑誌社から「建築と健康」についての取材を受けた時、健康寿命の話題になったのですが、来られた編集社の方はお二人とも日本で一番長寿なのは男女ともに沖縄県と答えていました。

私も、2000年に石垣島に家を建てた時にはそう思っていました。でもそれからしばらくして講義用の資料を作成している時に、すでに2000年には沖縄県の男性の平均寿命は全国の26番目だということを知ってかなりショックでした。さっと調べたところではその原因として色々なことが言われていました。「ファストフード店が沖縄にできたからだ」とか「離婚率がトップなので強いストレスがかかるからだ」などなどです。その頃に私が勘違いしていたのは、男女平均と間違えたのかもしれませんが、女性の順位も全国のトップテンに入っていないと昨日までずっと思っていました。

ところがです。しっかりした統計データで確認しようと厚生省のホームページから都道府県別の平均寿命の推移に関するデータをダウンロードしてみたら、なんと大きな間違いをしていたことに気がつきました。男性の平均寿命は確かに最悪の下降線をたどっていましたが、女性については沖縄県が返還されてからは常に一位だったのです。ただし5年ごとに行われる国勢調査から集計して発表されている最新(平成22年時点)の集計によれば、沖縄県は女性も3位に後退しています(表1)。


昭和40年からこの生命表が発表されていますが、沖縄県のデータが含まれるようになった1975年からほぼ5年ごとの平均寿命の都道府県別の順位の推移をグラフにしてみました。


これを見ると、女性に関しては2010年までは全国1位でした。しかし、男性は1985年の集計で一回だけ1位になったものの、その後は全国の半分程度、前回に至っては47都道府県中30位と順位を下げています。長野県が最近はずっと1位なのですが県をあげての食生活の改善の取り組みがあったことを聞くにつけ、沖縄県の男性の食生活の改善が急務であることが明らかです。散々飲んだ後、最後の締めにステーキを食べるなんていうのは沖縄県ぐらいでしょうね。

とはいうものの、推移の順位ではなくて平均寿命の数値だけ見れば、もちろん年々上がっているのは確かで、沖縄県以上に他の都道府県では健康に関する県をあげての取り組みが少しずつ功を奏しているのではないかと推測されます。私も、島野菜をせっせと摂るようにして平均寿命のランクアップに貢献しようと思います。



2017年5月29日月曜日

船越屋ハーリー忘備録

石垣島の北部にある伊原間は、島がくびれていて200mの幅しかありません。漁師が海に出るときに東風の時にはサバニ船を担いて西側の港まで、西風の時には逆に東側に船を担いで移動したことから「船越」という地名がつけられたのだそうです。その海岸に番屋が建てられそれらを含めてフナクヤー(船越屋)と言い、それがフナクヤーハーリーの海神祭の名前となりました。




海神祭はまず太平洋に当たる東海岸で御願ハーリーで海の安全と豊漁を祈願するところから始まります。



その後、陸揚げされたサバニを丸太に縛ってみんなで担ぎ、200mの幅を移動することになります。子供用のサバニも幼稚園児たちが担いで一緒に移動です。


西側にある伊原間漁港に着いたところで、中学生や一般、そして地区ごとの対抗レースが始まります。フナクヤーハーリーが他の各地と明らかに違うのが、この船越のプロセスがあることと、中学生や一般の方の体験乗船ができることのような気がします。




 今回の伊原間でのハーリーは、大人の競技よりも子どもたちが生き生きと参加している姿に感銘しました。「地域ぐるみで子どもを育てる」ことが日々の暮らしの中で行われていることを実感した今日の海神祭でした。







2017年4月28日金曜日

折り紙建築

故・茶谷正洋先生が東京工業大学の教授をされていた時に考案された「折り紙建築」は、当時、私が早稲田大学の建築図法の授業を担当していた時に取り入れたい課題の一つでした。カリキュラムの改訂のために実現はできませんでしたが、ずっと憧れていたところ江副育英会の奨学金の審査員を頼まれた時に一緒に審査を担当されていたのが茶谷先生でした。

10年ほど毎年審査会でお目にかかっていたのですが、ある時、「渡辺くん、こんなものを作ったからあげるよ」と言われてくださったのが、先生の直筆のサイン入りの折り紙建築で作った「横浜クイーンズタワー」とお台場の「フジテレビ社屋」でした。その後、私が大学を退職する時まで研究室の机の前に展示してありました。

横浜クイーンズタワー
フジテレビ

石垣子ども未来大学の課題を考えていた時に、真っ先にやってみたかったのが、この折り紙建築です。茶谷先生がこれを思いついたきっかけは年賀状の版画に飽きて、何か面白いことができないかと考えていた時に、賀正の「賀」の漢字をポップアップカード形式で立体的に作って写真に撮り、それを年賀状にしたところ評判が良かったので、それを建築物でやってみたらどうだろうというのが最初だったようです。

茶谷先生の直筆サイン


紙を「きる」そして「おる」ということの意味やプロセスを再現するために、私も一から始めてみました。たった一枚の平面の紙から無限の立体が生成できることを再認識し、キッズユニバーシティの一番の狙いである「自分で作って感動すること」には最も適した課題になると確信しました。平面図と立面図が一枚の紙に同時に存在し、さらに現実の建築空間をいかに抽象化してそれらしく見せるかという空間認識や空間把握がしっかり身につくような気がします。

一枚の紙から立体建築へ

さらに、ひたすら細かい線を切る、あるいは紙を線に沿って半分の厚さだけ切るという作業が、集中力や持続力を鍛えることができるし、折るという作業が指をバランスよく動かす必要があるので、子供だけではなくて高齢者にこそ楽しく指先と脳を鍛える訓練になるのではないかと思います。

たくさんの建築パーツに部材を分けて切り離し、それをボンドで貼りつけながら全体を作っていくという建築模型の作り方とは全く違う発想で、平面と立体との間を行き来できる「折り紙建築」は、無限の可能性があるような気がしています。茶谷先生から託された課題を、いま島の子どもたちと共有できることを感謝しています。

2017年4月9日日曜日

おる・つつむ

折型デザイン研究所の山口さんからいただいた研究報告「つつみ の ことわり」は、江戸中期に伊勢貞丈によって書かれた贈進の際の包みと結びの礼法「包の記」と「結の記」を現代風に読み解いた書物なのですが、礼儀作法としての我が国独特の「折り」のこころを、石垣島の子供未来大学で伝えられないかと試みています。


この中に、のし袋などについている「紙のし」の原型である熨斗鮑包に関する解説があります。その展開図と手順に従って自分で折ってみると、進物に熨斗鮑を添えることが江戸時代には一般化していて、それが形骸化といえども今日まで脈々と続いていることに日本人のこころの置き方の一端をみるような気がします。

伊勢貞丈の「包の記」には、こう書かれていると山口さんが現代語に解釈されました。
「熨斗鮑を包む事。当世の進物では、必ず魚鳥の類を添えるのが、祝の心を示すこととされている。魚鳥を添えない時は、干し肴あるいは熨斗鮑を、百本千本添える。略する時は、熨斗鮑二〜三本を切って、これを紙に包んで添える。(後半略)」とあり、その後、折り方の展開図と完成図が示され解説が書かれています。

矩形(1:√2)の対角線に正中して斜めに放射状に紙を折進んでいく時、神が紙の中に込められ、送る相手への思いと正面から向き合う気持ちにさせられ、礼法の深い意味合いを感じました。この熨斗鮑包の次には、手順は似ているものの、陰と陽の関係にある折型の木の花包みが解説されていて、一枚の白い紙を折ることで光と影がアートのように現れてくる美しさを堪能できました。

左が熨斗鮑包で、右が木の花包

2017年3月26日日曜日

小さな発見、大きながっかり

3月25日は昨年亡くなった母の一周忌のために浜松で法要を済ませました。浜松に帰った時には帰りに必ず浜名湖養鰻組合の地元のウナギで作ったお弁当を買って新幹線に乗るのですが、昨日は新宿の家で留守番をしているワンちゃんの具合が悪いので、できるだけ早く戻るためにそのままホームに駆け上がり、自笑亭の売店で毎日限定30食とおばさんが言った「うなぎ飯」を買って帰ってきました。



自笑亭といえば安政元年から160年以上の歴史のある食のお店で、浜松で駅弁といえば自笑亭と誰もが知っているお店でした。しかし、半世紀前に東京に出てきてからは新幹線の車内でお弁当を食べる機会もなく、ほぼ50年間は自笑亭の駅弁を食べていませんでした。久しぶりの「うなぎ飯」に期待を膨らませ、いつもストックしてある「肝吸い」を作り、どれどれと開けてみたのですが、見かけは値段相当のうなぎが乗っているのですが、なんとなく私が思っていたイメージとは違うのです。



一口食べてみました。それは私の記憶にある昔の「うなぎ飯」とは程遠い味でした。かなり昔の記憶が、その後、いろいろなところで食べたうな丼やうな重の味で書き換わっていたのかもしれません。あるいは車中で食べるとまた違った印象だったのかもしれませんが、タレも少なくご飯が固くて、これってうなぎ飯?というのが大きながっかりでした。

食べ終わって後片付けをしようとした時に、もう一度包装紙を眺めていて、ふと気づいたことがあります。これが小さな発見なのですが、なんとイラストのお侍さんや町人がIT化しているではありませんか、、、、、驚き!!おばさんがスマホで、うなぎをさらっていく猫を写メしているし、ベンチで休憩する武士が携帯を使い、もう一人はノートブックでお仕事をしている。ほぼ気がつかれないで捨てられてしまうであろう外紙に込めたこのセンスは抜群です。このセンスを駅弁の味にも注いで欲しかった、、。